10 被告発者からの応答に対する反論

(1)「人を対象とする研究」の倫理規範が出崎の研究には及ばないとする主張

出崎は、6月3日に自ら開いた記者会見において、「人を対象とする研究」の倫理審査を受けなかった理由について記者から質問が及ぶと、次のように答えています。(同席した通訳者の翻訳をベースに引用するが、一部、欠落箇所等を補った。なお、翻訳者の日本語訳が意図を伝え損ねるものでない点は、日本語をほぼ完璧に操る出崎が同席していることからも、疑いない)

質問者:「『週間金曜日』渡辺の代理で参りました、山内と申します。リリースフォームがあくまでもドキュメンタリー映画のものであって、調査研究ではないとおっしゃったんですけども、その場合例えば上智大学における研究倫理のガイドラインですとか、そういうものはこのプロジェクトは修論ではあるけれども、関わらないと。特に、人を対象にする研究倫理、そちらに当てはまるかどうか。どうその辺を考えたらよいのかというのを、おうかがいしたいと思います。(後略)」(1:42:30~)

出崎:「まず、ドキュメンタリー映画を卒業プロジェクトにしているケースは、それほど多くありません。これまでに提出された映画作品に関しては、人類学的(anthropological)なものであったり、民俗学的(ethnographical、正確な訳語は「民族誌学的」とすべき-引用者注)な内容が多かったと思います。私は人類学部ではなくて、グローバル・スタディーズの大学院コースに籍を置きました。恐らく民俗学のエスノグラフィーの作品の場合は、倫理コードというのがあると思います。しかしながら、グローバル・スタディーズには、そのようなものはありません。私自身の学術的な誠実さ(integrity)としては、文脈を外した、あるいは歪めたような表現というのはしてはいけないと自分では思っていました。そんなことをしたら、間違いなく作品として批判されてしまうだろうということはありますので、それを避けたわけです。そんなわけですので、倫理的な規則のスタンダードというのはなかったとしても、自分自身は文脈を外した映画の表現というのは、しないでおこうというふうに決めておりました。」(1:44:10~)

 まず、上記の見解は、出崎のみが独立に主張していることではなく、指導教員である中野晃一教授と共有された認識であるとみなさなければなりません。「ガイドライン」には、「学生が行う研究活動については、本ガイドラインの内容を熟知した指導教員が適切に指導を行わなければならない。特に、研究計画等の審査の是非については、指導教員が責任を持って判断を行う」とされており、「人を対象とする研究」の倫理規範の適用対象となるか否かの判断においても、指導教員には筆頭の責任があるからです。

 そのうえで、中野=出崎見解を再構成すると、「上智大学「人を対象とする研究」に関するガイドライン」は、フィールド研究における聞き取り調査を実施する場合でも、人類学や民俗学の固有の倫理コードであって、グローバル・スタディーズ研究科の研究には適用されず、従う必要もないという主張になります。このような認識を持つ者が、大学教授として研究者を名乗っていることに戦慄を禁じえませんが、以下、愚直に反論します。

①「ガイドライン」の目的

そもそも、「ガイドライン」が定められているのは、「研究対象者の人権を擁護すると共に、本学における研究の円滑な推進に資することを目的とする」(1.目的)からです。「ガイドライン」において、実体的権利義務としてインフォームド・コンセントが筆頭に言及されるのは、自由意思に基づかない不本意な研究参加を強いられたり、研究を通して研究対象者が不利益を蒙ったりするような事態を、人権侵害とみなすからです。もしも、そうした人権侵害が学術研究において発生するようであれば、研究協力は危険なものとなり、人を対象とする「研究の円滑な推進に」は重大な支障が生ずることになります。

以上を踏まえたうえで、改めて中野=出崎見解を検討すると、人類学や民俗学では人権侵害は起きてはならないが、他の研究領域では起きても構わないと主張していることになります。いったい、中野・出崎氏は、ガイドラインが何のためにあると思っているのでしょうか。

②「ガイドライン」の適用対象

中野=出崎は、「ガイドライン」に示されている倫理コードを、お辞儀の仕方や食事作法のような文化コードの一種であるかのように考えているのでしょうか。そもそも、インフォームド・コンセントは、医学部や薬学部の研究において確立した倫理規範です。生物学部において人由来の生体研究資料を侵襲的な方法で採取する場合でも、「インフォームド・コンセントは医学部に固有の倫理コードだから、生物学部の研究には関係がない」と言っているようなものです。人類学や民俗学において、人を対象とする研究倫理に関係が深いのは、聞取り調査が頻繁に行われるからです。その領域だけに関係する文化だからではありません。今日、人類学や民俗学の研究科が存在しない文系の大学でも、多くの大学が「人を対象とする研究」の倫理規定を整備しています。倫理コードには、目的とする価値があるのであり、それは研究対象者の人権の擁護という価値です。研究を通して、研究対象者の利益侵害が起きることが可能性としてありうる全ての研究が、「ガイドライン」の規律対象に含まれるのは、全く自明です。

③出崎自身の発言の矛盾

出崎は、自身の上記の主張にも反する言明を行っています。出崎が山本優美子へ宛てたメールでは、「このドキュメンタリーは人類学的な要素もありますので、運動にかかわる個人的な理由、影響、動機をお聞きしたいと思います。」2016.6.3と告げており、出崎自身の基準から言っても、全く矛盾しています。

④グローバル・スタディーズ研究科での審査実績

出崎は、グローバル・スタディーズ研究科には、人類学や民俗学が持つ倫理コードのようなものはないと主張していますが、事実に反します。「2016 年度「人を対象とする研究」に関する倫理委員会での審査結果」によれば、「ムスリムに対して日本人が持つ受容的態度の規定要因について」(2016-14)、「What are the perceptions on urban stress among Japanese university students in Tokyo, Japan?」(2016-31)など、グローバル・スタディーズ研究科の研究として、倫理審査を受審しているものがあります。こうした真面目な研究が一歩一歩踏み固めてきた学術的信用を、中野と出崎は一気に掘り崩していることを上智大学の全ての教員は自覚すべきです。

⑤「ガイドライン」の解釈

「ガイドライン」の目的と適用対象について、「人を対象とする研究倫理は、人類学や民俗学に固有の倫理コードであるため、他の研究領域には適用されない」とする中野=出崎見解が、妥当であるかどうかは、各人の解釈に開かれた問題ではありません。学術共同体が営んできた解釈実践に照らして、妥当な解釈は一意的に確定されます。

 中野出崎見解:人を対象とする研究倫理は、人類学や民俗学の文化的流儀のようなものに過ぎないため、異なる研究領域では従う必要のないものである。

 常識的見解:人を対象とする研究倫理は、研究対象者の人権を擁護することを目的とするものであり、人を対象とする全ての研究において従われなければならないものである。

それでも、解釈のゆらぎがあると疑問に思われるのでしたら、お近くの大学(研究機関)や文科省に上記いずれが妥当な解釈であるのか、問い合わせてみてください。間違いなく、鼻で笑われて、中野出崎見解は否定されるでしょう。

(2)その他の応答

 管見の限り、研究倫理違反に関して、中野・出崎サイドからの応答は全くありません。

応答があった場合は、随時、反論しますが、今後も中野・出崎サイドが応答することがあるとは思えません。また、対抗して記者会見を開くことも出来ないでしょう。なぜなら、それだけ弁解の余地のない、自明の研究倫理違反を犯しているからです。

実際、2019年10月11日に早稲田大学で中野教授が行った「安倍政権とRevisionism:報道・表現・学問の自由への圧迫を考える」と題する講演の中でも、全く応答がありませんでした。饒舌な中野教授のことですから、応答が可能であれば、嬉々として反論してきたはずです。

なお、同講演において、本事件に関するものと思われる言及としては、次のような発言がありました。

「現在進行形のこともあるんで、私は細かいことは申し上げられないんですが、私自身も標的になって攻撃されることがあるんです。そのときに、やっぱり学問の自由を守るっていうときに、砦がきちんとその機能を果たすのかどうかっていうことがかなり重要なところになってきて、そこはもう本当ケースバイケースで、風前の灯のところもあれば、なんとか持ちこたえるようなところもあれば、っていうところになっているんじゃないかと思うんですよね。共同体っていうのか、連帯の砦っていうちょっとロマンティックな言い方をするのかはともかくとしても、やっぱりこういうような状況においても、認識を歪められない、そして分からない、混乱しちゃったっていう状態に陥らないためには、そういった繋がりっていうものを持つことによって、私たちの正気を失わないっていうことが、非常に重要で、それができないと、つまり我々が分断されて、孤立化されていっちゃうと、そこでパタパタ倒れていくことにやっぱりなっちゃうんですよね。」(1:10:50~)

 どうやら、論理的応答はあきらめ、連帯の砦(大学と同僚?)に頼って、なんとか逃げのびようとしているようです。

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